時空を超えるUX(子育てと映画『アバウト・タイム』)
2020.11.16

時空を超えるUX(子育てと映画『アバウト・タイム』)

パパは子どもの“利用者”なのか?

人生をかけて最もはまっていること。それは間違いなく「子育て」だ。我が家には二歳半になる娘と、半年になる息子がいる。可愛い。抜群に可愛い。こんな癒しの生命体を他に見たことがない。「目に入れても痛くない」と言われるのもわかる。それでも、いきなり指で目を突くのはやめてくれた方が、パパは助かる。

今回、子育てとUX(ユーザー・エクスペリエンス)についての記事を依頼されて、ふと悩んだ。子育てが膨大なエクスペリエンス(経験)の場であることには違いない。でも「ユーザー」は誰なのか?

父である私が「ユーザー(利用者)」なのか。それとも私は「サービサー(提供者)」なのか。しばし黙考していると、ふとある映画を思い出した。

『アバウト・タイム 〜愛おしい時間について〜』

2013年に上映された、イギリスのSF恋愛映画。雑誌『anan』の「心に残る映画部門」で見事グランプリ(2014年)にも選ばれた(らしい)。

「SF恋愛ってなんだよ」とまったく期待せずに観たのだが(しかもタイムスリップもの)、劇場を後にするときには『anan』どころか私の人生ベスト3にランクインしていた傑作だ。

(以下、映画のネタバレを含みます。加えて記憶を呼び起こして書いたので、やや脚色されている恐れもあります。あしからず。気になったなら観よう)

一度しかない今日だから

あまりイケてない主人公(男子)は、タイムスリップ能力を持つ家系に生まれる。能力を「ギャンブル」や「試験の合格」に使うのかと思いきや、一所懸命「気になるあの子を射止めるため」に使う。まずここにものすごく共感できる。

同じくタイムスリップ能力を持つ父の教えは「今日という日を二度生きなさい」というものだ。あくせく生きる日々のなか、「一度目の今日」では気づけなかった「他人の優しさ」に、「二度目の今日」は気づけるという話(グッとくるでしょう?)。

やがて主人公は「一度目の今日」だけで満たされるようになっていく。むしろ「たった一度」だからこそ、本当の意味で満たされるのかもしれない。当時、この映画から受け取ったメッセージはまさにこれだった。そして、これで全部だった。

タイムスリップをやめた理由

時が経ち、いつしか私も「父」になっていた。そして父になることで、あるときこの映画のもっと奥にあるメッセージに気がついたのだ。

物語の終盤、主人公は「二度とタイムスリップをしない」決心をする。理由は、タイムスリップした瞬間に「自分の子供」が「全く別の子供」に変わってしまうからだ。「受精」とは奇跡的な確率で起きる出来事。タイムスリップしてしまうと、二度と再現できない。だから主人公はタイムスリップをしないと誓う。

当時の私は、このシーンを「過去を生きるのではなく、未来を生きる」程度の解釈しかしていなかった。けれど自分が親になり、子を授かって、ようやくその意味がわかってきた。

これまでの人生が全てハナマルと思えた瞬間

言うまでもないが、私はタイムスリップなんぞできない。仮にタイムスリップできたとしても、彼と同じように「今の子供を愛しているから、タイムスリップはしない」という選択をするなら、何も変わらないのだ(そして私は絶対に、タイムスリップはしない)。

これまでの人生があったから「この子」が存在するのであって、辛かったことや嫌なこと、どのピースが欠けてしまっても「この子」はいなかった。

「この子」に出会えたという最高の幸せを噛み締めた瞬間に、これまでの人生が「ぜんぶハナマルになる」ことに気づいたのだ。子供の寝顔を見ながら、それがわかった。そして、涙が止まらなかった。

まとめ

子供がいなかったときですら『アバウト・タイム』は感動した。でも、映画館で味わった感動の「エクスペリエンス」は、その後もじっくり自分のココロやカラダに染み込んでいた。気づかないところでずっと、奥の方に染みついていたのだ。

監督や脚本家が伝えたかったのであろう「世界観」が、時間を経て、立場を変えたことで、じんわり共有できたのだと思う。

映画に限った話ではない。他のサービス・商品でも、きっと当てはまることがあるだろう。「本当に豊かなUX」とは、消費(利用)の瞬間だけでなく、またどこかのタイミングで燃え盛るのを待つ、消えないこころの灯火のようなものではなかろうか。

そしてその火は、伝えたい世界観が豊かなほど、明確であるほど、深く、強く、ココロに染み入り、消えないものだ。

「今」や「少し先」だけでなく、「いつか来る未来」にまで影響を及ぼす。そんな、いつまでも消えることのないUXもある。

【参考】
http://abouttime-movie.jp/

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