でも、お高いんでしょう?
新しい概念に拒絶反応を示す人には、二種類います。嫌悪する人と、憤怒する人です。嫌悪する人が嫌う対象は変化。変化の先には未知があり、わからないものは怖い、怖いのは嫌だ、という理屈です。
一方で憤怒する人の怒りの矛先は、煎じ詰めればお金が大半。「そんな金はない!」が新しい概念やテクノロジーに対してアレルギー反応を起こします。「いいな」とは思っても、深夜の通販番組よろしく「でも、お高いんでしょう?」と(思考の)電源を消してしまいます。
もし、UXに対して怖がっていたり、お金がかかると見て見ぬ振りをしているなら、とっておきの事例を紹介しましょう。なにも怖くなく、お金もほとんどかからずに、劇的に世界を変えた話です。
日本の景色を変えたUX発想
四十年以上前、今ではあって当然のコンビニを、町でちらほら見かけるようになってきたばかりの頃。糸井重里さんがコピーライター養成講座で、こんな課題を出しました。
Q.コンビニにもっとお客さんを集めるアイデアは?
受講生の回答は「マイケル・ジャクソンを呼ぶ!」「サザン・オールスターズのライブをする!」といった、大々的でお金のかかるものばかり。それに、本当に彼らを呼んだとしても、一ヶ所のコンビニに、(一時的に)入り切らないほどの人が押し寄せるだけで、本質的な意味での「コンビニにもっとお客さんを集めるアイデア」とは言えません。
では、糸井重里さんの答えはなんだったのか……?
お湯の出るポットを置く
当時(も今も)、料理をする人はスーパーに食材を買いに行くので、コンビニの主な利用客は、すぐに食べられるものを求めるサラリーマンや学生でした。お菓子や菓子パン、ペットボトル飲料と並んで、カップラーメンは主力商品。
なのに、コンビニに「お湯」はありませんでした。みんな、コンビニでカップラーメンを買って、家に帰ってから自分でお湯を沸かす必要がありました。そこで糸井重里さんは「コンビニでカップラーメンにお湯を入れてくれるサービスがあればいいよね」と言いました。
この一言から、コンビニにお湯の出るポットが置かれたと言われています。これにより、全国から家に帰ってお湯を沸かす、入れる、という行為が解消されました。まさに、日本中のUXを劇的に向上させたアイデアです(しかも、かかったお金はポット代だけ)。
コンビニの利便性がさらに高まった結果、利用者がさらに増え、日本はコンビニ大国になりました(良くも悪くも)。
あらためて、UXとは?
ぼく(イデトモタカ)自身はUXを、
「始まりの前から、終わりの後まで、ぼくらの感情と行動を左右するもの」
だと考えています。UX(ユーザー・エクスペリエンス)ということば自体には、良いも悪いもありません。ぼくらがユーザーとして、内的にも外的にも、経験するものすべてがUXです。そしてUXについて思案するとき、見落とされがちですが重要なのは、始まりの「前」と、終わりの「後」まで、想像することだと感じています。
今回の話の場合、糸井重里さんはコンビニでカップラーメンを買う人のUXを、「コンビニを出るまで」ではなく、その後の「お湯を入れて食べるまで」だと捉えました。視点を変える(延長する)ことで、誰にも見えていなかった改善ポイントに気づけたのではないかと思うのです。
まとめ
UXの改善(劇的な改善)は、お金のかかることばかりではありません。ぼくらが当たり前と思っていることのなかにも、UXの視点を延長させることで、まだまだ解決されていない行動や感情はあるものです。
あなたの商品やサービスについてUX向上を考えるとき、ぜひ今日の話を思い出してください。ユーザーにとっての「お湯」はなんなのか?
始まりの「前」から、終わりの「後」まで、UXの視点を延長してみる。そこに解決されていない行動や感情が隠れているかも。