便利さはいつか当たり前となり、新しい義務を発生させる。現代版ノブレスオブリージュとの向き合い方
2022.03.23

便利さはいつか当たり前となり、新しい義務を発生させる。現代版ノブレスオブリージュとの向き合い方

 私たちの周りには便利なものが溢れています。
デジタルガジェットやアプリだけではなく、家電、日用品、食品も、いつの間にか「便利で」「ある(存在する)」ことが当たり前になりました。

新しい便利さと、新しい義務(感)

 はじめは画期的で有り難いものも、気がつけば日常の一部に、当たり前になっていきます。たかだか数十年前にはなかった掃除機や洗濯機は、今や私たちの生活に欠かせないものとなり、家事から解放された交換として、最新式の掃除機や洗濯機を買うための(職場での)労働という新しい義務(感)が発生しています。

対面で行われていたコミュニケーションも、それぞれが好きなタイミングで送信・受信可能な形態(メールやチャット)に変化しました。こうしたテキスト・コミュニケーションの普及は一方で、即レスやスタンプなどの新しい義務(感)を醸成しています。

ビデオ会議はどうでしょうか?

コロナ禍で一気に普及したビデオ会議。非対面でも効率的にコミュニケーションが取れるツールがもたらしたエクスペリエンスやユーザビリティについては、『UXジャーナル』でも何度も取り上げられてきました。世界的パンデミックから2年が経ち、ビデオ会議が当たり前になった私たちに課せられた新しい義務(感)は、何処にいようが会議に出る、ということでしょうか。

便利な道具やアプリはその機能性の高さからすぐに市場(マーケット)に浸透し、気がつけば日常化しています。そして日常になった頃に、私たちはそのツールを使うことによる新たな義務(感)を得ているのです。

なぜ便利さは義務(感)を伴うのか?

 なぜ私たちは便利で楽(ラク)になると思ったのに、新たな義務(感)を負わされてしまうのか?

真っ先に思い浮かぶのは「ノブレス・オブリージュ」かもしれません。

「ノブレス・オブリージュ」とは欧州の騎士道に由来する、高貴なる者の義務、と意訳される言葉で、フランス語の「la noblesse(貴族)」と「obliger(義務を背負わせる)」を組み合わせた語で、社会的成功を収めたもの、あるいは高い地位にある者は「社会に対して還元する義務がある」という意味になります。

この成功した人に課される社会的義務と、便利さを享受する人に課せされる社会的義務は似ています。

成功者が持て余しているお金を分配しないことも、地位のある人が人助けをしないことも、キャッシュレスが使えるのに現金を使うことも、LINEを使っているのに既読スルーすることも、それはすなわち社会的義務を果たしていないということなのです。

Slackを使いたがらない多くの人は、他者間のコミュニケーションまで把握するという義務を無意識に敬遠しているようにも見えます。

社会的義務が便利さの前提になっている

 こう考えていくと、私たちは「便利さと引き換えに新たな義務を背負う」という不都合な真実に気がつく一方で、これらの便利さは義務ではなく、権利だと考える人もいるかもしれません。

しかし「クリーン・ハンズの原則(法で守られる者は法を守るものだけである)」でもわかるように、あなたがメールを送るということは、相手はメールを見るという前提によって成り立っています。それゆえに、送り主であるあなたがメールを見ないことは許されないのです。

SNSなどでは、いわゆる見る専(ROM専)と呼ばれる、見るだけの人たちは確かに存在します。

しかし、こうした見る専に対して嫌悪感を抱く積極的な発信者もいます。情報提供しているお店や投稿者は「いいね!」「シェア」「コメント」してくれるユーザーとしか交流しないことからもわかるように、権利だけ享受しているつもりでも、ソーシャルネットワーク上での社会的義務を果たさない限り、そのコミュニティには入れないのです。

最近の「不便さを楽しむ」という新たな価値観が浸透している背景には、こうした「義務からの逃避」という文脈を、私は感じずにはいられません。

現代版ノブレス・オブリージュとの向き合い方

 これらに対して私なりの明確な答えはまだ持っていません。ですが、少なくとも便利さだけを追求していくことは、新しい義務を増やしていくことと同義だと感じています。

一方で「義務を果たせば権利が得られる」という表裏一体は、私たちの社会の原則です。

では、いま私たちが義務と感じている多くのアプリを使うことによって得られている権利や便利さや豊かさは何でしょうか?

例えば毎日のように送られてくる煩わしいチャットやビデオ会議のリクエストによって、あなたが得ている便利さや豊かさは何でしょうか?

便利が当たり前になった今だからこそ、その当たり前によって生じている義務が、あなたに「何を」与えてくれているのか、考える時かも知れません。

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