MT車が教えてくれた不便さを楽しむUX
2021.06.23

MT車が教えてくれた不便さを楽しむUX

 5、6年ぶりに車を買った。
スズキのジムニー。軽自動車でありながら、本格的なオフロードの四輪駆動車で、雪国や山岳地方はもちろん、森林組合や狩猟者、さらに山岳救助隊なども愛用するプロユースの車としても人気の一台だ。

予定している引越し先が雪の降る地域かつ山道も多く、道幅も狭いことから、この車が選択肢に挙がったというわけだ。

最後まで迷ったのは…

 色でもグレードでもなく、ATかMTかという選択だった。
ジムニーには今どき珍しくMT車のラインナップがあり、これは前述したプロユースならではのオプションだといえる。

MT車が選ばれるのはいわゆる商用車であり、トラックなどがその代表。MT車はAT車に比べて構造がシンプルなため、故障しにくい上に購入価格が安く、長距離を走った際に摩耗する部品も安いことから、維持費も安い。さらには燃費も良いという経済的なメリットが多数ある。

しかしそうしたメリットも、走行距離が50〜80万キロとも言われるような、まさに走るプロにとって意味あるものであり、私やあなたのように5〜10万キロで車を買い換えるような一般ユーザーにはほとんど関係のない話だ。

便利なAT車と不便なMT車

 MT車のメリットをお伝えしたが、一方で(ご存知の通り)発進や変速のたびにクラッチを踏み、ギアを変えるという手間がかかり、信号の多い市街地での運転や、高速道路での渋滞にMT車ではまると、AT車とは比べ物にならないほどの不便を感じることになる。

さらに言えば、現在市販されている車の99%はAT車と言われており、運転免許の新規取得者の7割以上がAT車限定(!)という現状も考えれば、MT車は家族や友人に運転を代わってもらうこともできず、選ぶ理由がほぼ見つからなくなってしまう。

さらに言えば、もともとゴルフ場に行く頻度が多い私にとって、運転は仕事の一環でもあり、正直運転も嫌々している感がある。運転中はメールも返せないし、動画も見れないし、読書もできない。

そんな運転という行為の不便さを苦痛に思っていたので、私はできるだけ運転時間を減らすために最寄り駅まで電車で移動し、そこからカーシェアで移動するという方法を頻繁に使っていたほどだ。

それでもMT車を選んだ理由

 しかし今回、私が最終的に選んだのはMT車だった。
そして納車されて10日ほど経った今、「MT車にして正解だった」と心の底から思っている。

MT車を選んだ最大の理由は、「運転を楽しみたい」という気持ちだった。
今の車は様々なテクノロジーが搭載され、特に「自動」と名の付く機能がふんだんに盛り込まれている。代表的なのは自動運転だ。もはや車の運転というのは人間がするものではなくなってきている。

そして気づいたことは、人間というのは不思議なもので、奪われると欲しくなる。
自動運転によって運転という行為が奪われると、運転という行為を楽しみたいと思うようになる。

これは他の事にだって言える。都市での生活が自動化されるほど、人は不便さを求めてキャンプに出かけるし、農業や漁業が自動化されるほど、人はガーデニングや釣りの楽しさに気付かされる。

便利さによって奪われた行為の末に、私たちは「不便さを楽しむ」という価値を見つけるのだ。

不便さを楽しむ

 MT車を運転していると、エンジンの回転、ギアがカチッと入る感覚など、車の挙動がダイレクトに伝わる。これまで苦痛だった運転が、「工夫して上手く走らせたい」という感覚になり、スッとギアが入れば、機械と人間が繋がったような不思議な満足感を覚える。

キャンプでライターを使わずにファイアースターターで火をつけたり、ガーデニングで苗からではなく種から育てることで、生命や自然とつながる感覚に似ているのかもしれない。

「UX」という言葉は、接点のデザインによってユーザーの行為を作り出し、ユーザーの体験価値を高めることを言うが、その多くは「便利なUX」という文脈で語られている。

しかし、便利がいきつく先は人間らしい行為を無くすことであり、人間らしさを楽しむ、不便さを楽しむためのUXというのもまた、新たな価値として見直されるのかもしれない。

人間らしさを楽しむ、不便を楽しむためのUXが、新しい価値として見直される……かも。