あらためて考える私たちの【葬り】のUX
2022.11.04

あらためて考える私たちの【葬り】のUX

【葬り】とは

死体・遺骨を墓所などにおさめる。存在を隠して忘れさせる。という意味で使われる言葉です。日本では仏教を由来とする埋葬で、魂と肉体を別(心身二元論)と考え、肉体を火葬するのが一般的で99.9%が死後火葬されるそうです。

葬られ方に選択肢はない

文化庁の「宗教統計調査」によれば、日本人の仏教系団体の信者数は約8770万人。これは宗教施設に何かしらのお金を支払った人数です。そのため、お墓を立てたり、お坊さんにあげていただいたお経に対して、費用やお布施等を支払っていれば「信者」としてカウントされています。

一方で、NHKが行った世論調査では「信仰している宗教がありますか?」の質問に対し、わずか31%が仏教と回答しています。

つまり、特に信仰の自覚はないものの、なんとなく慣例的に葬式をあげ、火葬をし、墓地に入れるという【葬り】をしている人が、日本には4000万人程度いる、ということです。

では亡くなった本人、あるいは遺族に、火葬以外の【葬り】の選択肢があるのかといえば、法律の問題もあり、実際には他のオプションは存在しないというのが実状です。

火葬の問題点

火葬場の不足問題:

近年の日本では高齢化社会が深刻な問題となり、同時に多死社会となっている。その結果、火葬場が不足しているという問題があります。

迷惑施設としての問題:

火葬場は迷惑施設として分類されており、人口が多い市街地などに容易に建てることができません。

環境負荷への問題:

一度の火葬で使われる化石燃料や有機物(遺体)燃焼から最大200kgの二酸化炭素が排出されていると言われています。

またこれらに加え、墓の問題(墓地不足や無縁墓の問題)もあり、仏教を信仰している方ならまだしも、前述した無信仰だが慣例的にやっているという大多数にとって、良い葬りのUXと言えないのではないでしょうか?

私も子どもがいないので、私の死後に墓を見てくれる子孫もおらず、無縁墓になってしまうことが確定していること。自分の生涯の最後に二酸化炭素とダイオキシンで地球環境に負荷をかけてこの世を去っていくという罪悪感。死後に自分が焼かれるというイメージが死への恐怖を増長させている気がする……などなど、敬虔な仏教徒ではない私たちにとって【葬り】のUXはあまり考えられていないと感じます。

新しい葬り方としての堆肥葬

そんななか、遺体を堆肥にする「コンポスト葬(堆肥葬)」のサービスが昨年末に米国で始まり、予約が殺到しているというニュースを目にしました。
https://president.jp/articles/-/48330

土葬も棺に入れずに直接埋葬される場合は土によって堆肥化されますが、期間が長くなることで動物などに掘り返させる可能性や、死因となった病原菌やウィルス等が繁殖するなどの衛生面の懸念もあり、それらが特定地以外で土葬を禁止する法的根拠(日本国内)にもなっています。

堆肥葬と土葬との違いは、堆肥化を促進させる発酵菌やウッドチップを一緒に埋葬することで、発酵を促進し約1ヶ月程度で土になることに加え、発酵の際に発生する発酵熱(80度程度まで上がるとのこと)によって人間や動物に悪影響を与えるウィルスなどが死滅するという点です。

地球環境に負荷をかけることなく、しかも有機物は土となり、それがまた植物を育て、植物の根は土壌を豊かにして二酸化炭素の吸収だけではなく、土壌が豊かになることで水害などの問題も改善してくれますから、死後に自分の肉体が地球の役に立つと考えると幾分か死への恐怖や、悲しい気持ちが抑えられるような気持ちになります。

思想としての心身二元論か心身一元論かは定義が難しいところですが、死後も土壌となり草木として地球に生き続けるという思想から、土葬と似ているとはいえ、二元論的な思想が伺えます。

ゴルフ場を堆肥葬としての活用へ

私は仕事柄、日本の余剰ゴルフ場問題(日本はゴルフ人口に対してゴルフ場の数が多すぎる)について関心があり、地方で利用客が減少したゴルフ場をどうやって里山に戻すか? といった課題を日頃から考えています。しかし実はゴルフ好きの間では、自分の骨をコースに撒いて欲しいという人が意外と多いのです。

このような背景と社会問題になっている墓地不足から、ゴルフ場跡地を墓地にするという計画も一部でありました。しかしながら、墓地は冒頭に書いたようにその後の管理の問題などもあり、まだ一部でしか実現しておらず、現在は過剰ゴルフ場として閉鎖したコースのほとんどがメガソーラー施設となっています。

ゴルフ場は開発する際に造成でたくさんの樹木を伐採していますから、廃業したからといって原状復帰で戻すことが難しいのですが、堆肥葬の場所として活用し、目印として広葉樹などを植えれば、遺体は豊かな土となり、やがて里山へと戻っていきます。

自分が最後にこの世から葬られるときに、好きな場所で自然に還り、草木として地球に存在していくというUXが「心地いい」と感じるのは私だけではないでしょう。

火葬による環境負荷への問題、墓の問題(墓地不足、無縁墓)、余剰ゴルフ場の跡地問題、これらを解決する方法としての堆肥葬のアイデアを書いてみました。

皆さんにとって【葬り】のUXとは何でしょうか?

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