他社サービスを表面的に真似してもいい体験は創れない。仏つくって魂入れるまでがUX
2022.10.04

他社サービスを表面的に真似してもいい体験は創れない。仏つくって魂入れるまでがUX

五年ぶりにいざ映画館へ

家ではアマプラを垂れ流しているわが家。アニメの『ワンピース』に目覚めた子供たちが、ついに映画を観たいと言い出しました。実は父ちゃんもちょっとみたいぞ、ということで、さっそく週末お出掛けすることにしたのです。

最後に映画館に足を運んだのはもう5年以上も昔。チケットどうやってとるんだとか他に上映してる作品はなんだとかで、お出掛け前からワクワクがとまりません。

待ちに待った土曜日のお昼前、4歳と6歳の子供をつれて3人でお出掛け。電車に乗って隣駅までルンルンです。登場人物は誰が好きとか、あの技がかっこいいとか、『ワンピース』談義を楽しみながら、映画が始まる前に腹ごしらえのためにランチの場所を探したのでした。

4歳と6歳を連れての外食に猶予はない

「スパゲッティが食べたい!」と主張する6歳に主導権を握られ、ランチタイムのスパゲッティ屋さんに入店。お昼時でしたが幸運なことに待たずに着席。

さあどれにしようかとメニューを広げますが、子供たちはキッズメニュー(おもちゃ付き)に即決。これはおもちゃがメインで食事が特典なのでは、と思いつつ、大人の注文も決めるためにメニューをあっちこっちひっくり返します。

明太子パスタおいしそうだけども子供が欲しがった時に辛いのはダメだな、子供がキッズメニュー残した時の保険と、ちょっと家では食べられない非日常を演出できるメニューは……と、ここまで考えるのに0.5秒。

さらにメニューの裏面に「間違い探し」があることを確認して料理到着までの過ごし方をシミュレーションし、すべての条件を満たす私の注文はパンシチューセットに決定! お腹も空いたし映画も見たい子供を前にはコンマ数秒の猶予もないのです。

もちろんそんな慌ただしさなんておくびにも出さず、落ち着いた表情で素敵なユニフォームの店員さんをお呼びしてスマートに注文をすませました。

ふぅと一息ついて子供に向き合い気づいたのですが、時すでに遅し。さっきの「間違い探し」付きメニューは、注文と同時に持ってかれちゃいました。ああ、料理が来る前の時間に「間違い探し」やるの楽しみにしてたのに、残念。そのとき私の脳裏には、別の外食チェーンでの記憶が浮かんでいました。

サービス提供“前”のUX

外食の雄、サイゼリヤさんには定期的にお世話になる我が家。徹底的な合理化も有名ですが、子連れに嬉しい心遣いの一つがこちら。キッズメニューにある「間違い探し」です。

メニューの間違い探し
二枚の画とにらめっこしながら時間を過ごせば、あっという間に注文の品が届きます。むしろもうちょっと待ってから料理をもってきて欲しいくらい(いつも全クリアできない)。そう、このメニュー(間違い探し付き)はテーブル備え付けで、注文が終わったとて回収されることはありません。

子連れの外食は、注文してから料理が届くまでの時間が少々厄介なんですよね。このご時世でなくとも、レストランの中で騒いだり椅子の上に立ったり立ち歩いたりをなるべく防ぎたい。そんな時に「間違い探し」があれば、とりあえずテーブルにはりつけるひとつのアイテムになる。サイゼリヤさんもそれをわかってやっている、はず。

こうしたサービス提供中“以外”の時間に発生してしまう、ユーザーの不(不快・不満)を解決する取り組みって、他の場所でも見つけることができますよね。たとえばディズニーランドのアトラクションに並ぶ場所とか、マクドナルドのハッピーセットのおもちゃとか。

サービスそのものだけでなく、その前後の体験も向上させることでお店のファンになってもらう。それは再来店を促すという、きわめてビジネス的な狙いもあるわけで、UXを考えることがビジネスでは大事だよなあと思うわけです。サイゼリヤさんなんて、むしろ「間違い探し」の問題を「難しく」することで、一度の来店では全回答できずに再来店を強制しているという可能性すらあります。おそろしや。

ユーザーは便利を知り、そして後戻りはできなくなる

ところで、私がサイゼリヤのUX、つまり「注文から提供までの時間を、子連れだと安心して過ごせない」という課題に対して「親子で間違い探しをする」というソリューションを知らなかったら? 冒頭のお店での体験はそこまで残念ではなかったかもしれません。

でも、私(ユーザー)はすでに他のお店で便利を知ってしまっているのです。これは「間違い探し」だけでも、また外食に限った話でもありません。

ユーザーは日々外部のありとあらゆるサービスから便利を提供されており、一度その便利を体験してしまうと、もう後戻りはできません。便利・快適の追求はとどまることをしらないのです。

つまり、それまではなんとも思わなかった普通のサービスを、ある日を境に「不便だ」と感じてしまう可能性があるということ。サービス自体はなにも変わっていなくても。なんともこの世は無常ですね。だからおもしろいのですが。では、変わっていくユーザーに対して、少なくとも不便を感じさせない、むしろ「ワオ!」のある体験を提供し続けるにはどうすればいいのでしょうか。

まず思いつくのは、自分自身がユーザーとなって、世の中の便利や快適を体験すること。その体験から、自分だとなにができるのかな? と考え、小さく試してみることでしょう。なにも大きな施策じゃなくていいのです。実際、冒頭のスパゲッティ屋さんのメニューにあった「間違い探し」も、それ自体は後付けされた感じで決してクオリティの高いものではありませんでした。でも、そのアクション自体はとてもすごいなと感心します。ああ、ユーザーのことを考えて動いてくださる人がいるんだなと。

でも残念だったのは、訪れた店舗における標準動作(メニューは都度回収する)と、間違い探し付きのメニューという提供物が相互にマッチしてなかったこと。外部の便利や快適を知り、その施策をなにかツールやハードとして用意してみることはとてもよい取り組みです。でもそこから一歩踏み込んで、ユーザーにとっての体験(UX)が整合性をとれたものになっているか、きちんと課題を解決できるソリューションになっているか、という視点こそ大事なのではないでしょうか。

じゃあどうすればいいの?

冒頭のスパゲッティ屋さんでは、せっかく「間違い探し」を用意したのに、誰もそれを楽しめない、むしろおもちゃを見せられて取り上げられた残念な体験すら引き起こしていました。なぜこんなことが起こったのでしょうか?

仮説の一つとして、「間違い探しを付加することを考えた人」と「実際にメニューを提供し、注文を受け、メニューを回収する人」が相互に不干渉だったから、ということは考えられないでしょうか。双方の役割が同一人物であれば、どう考えたって、「だれも間違い探しにとりくんでない、いや、取り組む時間がそもそもない」ということに気づくと思うのです。そして、少なくとも両者の意思疎通ができていれば、「間違い探し」を提供した「目的」と「実際の利用状況」がミスマッチを起こしていることがフィードバックされるはず

 ・目的:お客様のサービス待機中の満足度低下を防ぐ
 ・実際の利用状況:お客様が「間違い探し」に取り組んでいるか、どのような方が取り組んでいるか、店内でリラックスして過ごせているか

こんなミスマッチを起こさないためには、やっぱり現場が大事、現場から生み出されるUX向上が大事、と再認識します。

おまけ

パンシチューなんて時間のかかるものを頼んでしまったばっかりに巻き起こった今回のエピソード。映画を十分に楽しんだ帰り道、「間違い探し」ではなくても、外食時の料理待機時間を楽しく過ごす方法をあれこれ妄想してみました。

スパゲッティを出すようなお店であれば、例えばイタリアの地図があったりするとどうでしょう。お店のテイストともマッチして、かつ旅行好きなひと、ご当地好きな人のネタになるかも。とくだん季節メニューが出たとて更新する必要はありませんので、いったん初期コストのみで試せるはず。ほかにもいろいろアイデアは出せそうですね。

まとめ

ユーザーは外部サービスからの便利・快適の提供で勝手に成長してしまう。やっぱり現場でUX向上施策のPDCAを回し続けることが大事。

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