見て見ぬ振りができなかった問題
緊急事態宣言下の2020年7月某日。以前から計画していた引っ越しを敢行しました。理由は、保護猫を飼うため。
これまでは家のサブスクサービスを活用し、全国を転々としていた自由の身。でもあるときふと、ネットメディアに掲載された「ペット廃棄問題」が目に飛び込んできました。
いたたまれない現状に胸を打たれ、記事を読んだ日から「保護ペット 受け入れ 条件」をGoogle先生で検索する毎日。そして保護猫活動団体にアポを取り、ついに1匹の黒い成猫(推定5歳)を受け入れることにしました。
こんなにくせぇのか
無事引っ越しが終わり、しばらくして家にきた黒猫。ヤマトと付けられたその名は、思考の浅い飼い主の元に来てしまった証。もし本人が言葉を話したら「あの時は耳を疑った……」とでも言われそうです。
しかし飼い主は飼い主で、自分の鼻を疑いました。
「いや、めちゃくちゃ臭ぇなおい。」
無論、う●このことです。茨城の実家でこれまで飼っていたのは犬。かつ外で放し飼いだったので、なんとも気づかなかったのですが、猫の排泄物は冗談で済まされないくらい臭いのです。
しかも、専用トイレ前に置いてある、砂おとし用のトレーからはみ出てることもしばしば。人間だったら懲罰もの、即独居房行きです。
不便極まりない「猫を飼う」ということ
トイレ問題以外にも、猫を飼うことは便利とは程遠い生活です。まず、奴らはとにかくどこでも、爪研ぎします。家のコーナー、空いているドアの角、ソファー、etc……
ある朝、起きると床に「消しゴムの……カス?」が落ちていました。しかしその謎のカスはもちろん消しゴムではなく、無惨にも爪研ぎで剥がされた壁紙でした。
さらに、早朝4時からアカペラ大会が始まります。さまざまな高低の「にゃー」を駆使し、我々人間の聴覚に訴えてきます。メッセージはいつも「ともに遊べ。」
極め付けは、口臭。こいつもパワフルです。自分が動物性タンパク質中心の生活を控えようと思ったのは、彼が初めて僕の顔を舐めてくれた時。
幼い時分、海鮮市場の裏道で体験した「魚介類×常温×時間経過」のコンボがフラッシュバックしました。
40枚/日
しかし、こんな彼の振る舞いを、写真で撮ってしまう日々。気づいたらスマホの画像フォルダーは黒い物体で埋め尽くされています。
ただでさえ気まぐれな猫という生き物。なので良いアングルをキープするのは至難の業。ですが、もはやその時間すら愛おしい。
「も〜。こっち向いて。」と30歳男性がはしゃぎながら撮影するという地獄絵図が、夜な夜な、東京世田谷区の一角では繰り広げられています。
積極的に「不便」を選択する人たち
猫に限らず、ペットを飼うことは以前の生活よりも、圧倒的に不便になります。爬虫類であれば湿度と温度管理が命ですし、犬は毎日の散歩や鳴き声に対する近隣への配慮も必要です。長期旅行にもおいそれと行くことができません。
なのになぜ、人々は、ペットを飼うのか? 一般社団法人 ペットフード協会の2020年12月の調査によると、1年以内新規飼育者の飼育頭数は、犬・猫共に2018年を底に、2019年、2020年と増加傾向。2020年の増加率は2019年時よりも更に高まっています。
対比によって、生活の意味を定義できる
僕が猫と生きる生活になって気づいたのは、家の中において「猫は圧倒的な弱者である」ということ。人間がいなければ、(室内故に)餌をとることもできず、水を飲むこともできず、排泄物を適切に処理することもできません。
ある環境において自分よりも圧倒的な弱者、その存在を守る体験が、僕の生活の意味を見出しています。
これまで最新家電を買ったり、いろいろなガジェットを駆使して、どんどん生活を便利を追求してきていました。でもどこか、虚しい……。
その原因は、生活に意味が無かったからかもしれません。誰のために? なんのために? がなかったからではなかろうかと。
それらに気づいた瞬間、一気に生活の充実度が高まりました。不便だと感じていた事柄さえ、自分の生きる意味に気づけた勉強代として、前ほど不便を感じません。
でもいまだに、たまに朝現れる消しカスだけは、許せませんけどね。
例えば…一次産業のススメ
世の中にはペットを飼うことのように、「不便だけど愛されていること」があります。例えば、野菜を作ることだったり、魚を釣るなどの一次産業体験。
近くのスーパーに行けば、新鮮で使いやすくカットされた野菜や魚はいつでも手に入る現在。しかし圧倒的に不便な体験だからこそ、生活に意味を見出すことができます。
今の生活にどこか物足りなさを感じているのであれば、身近な愛されているものに触れてみると良いかもしれません。
まとめ
生活に物足りなさを感じる時は、あなたの周りの「不便だけど愛されるもの」に触れよう。