100万円使ってわかった、マンツーマンとパーソナルでこんなにもUXが違った体験談
2021.01.27

100万円使ってわかった、マンツーマンとパーソナルでこんなにもUXが違った体験談

パーソナル・トレーニング歴、三年

弛んだ体を引き締めたい。動機は、いたって単純でした。たび重なる暴飲暴食で、不摂生になりがちな二十代後半。運動習慣がない僕に、いきなり痩せろは無理難題です。そこで、素直に人の力を借りることにしたのです。

今でこそパーソナル・トレーニングは市民権を得つつありますが、三年前はまだ「意識高くない……?」と揶揄される時代。しかし人になんと言われようが、モテたい欲は抑えられません。

そして大して調べもしないまま、「名前が賢そうだから」という頭が悪そうな理由で、最初のパーソナル・トレーニング・ジムを選びました。

エクスペリエンスが溜まってきた

そこから実は、色々なパーソナルトレーニングを試しています。完全個室で差別化しようとする個人トレーナー、CMが超絶有名な金×黒のジム、毎食スムージーがつくのが売りのジム……etc.

「パーソナル」といえど実態は千差万別。それでも、複数受けるなかでわかってきたことがありました。

マンツーマン≠パーソナル

発見その一。どこも「マンツーマン」であることを打ち出しています。しかし、実際には「マンツーマン」であっても「パーソナル」になっているところは少数だ、ということ。この意味がわかりますか?

想像してください。

あなたのトレーニングには毎回、筋骨隆々なトレーナーが30〜60分つきます。しかし、トレーナーは毎回違い、「どんな体型になりたいか?」「それはなぜか?」を、いつもいつも冒頭あなたに質問してきます。もしくは、それらが書かれたノートをトレーニング開始時に読まれながら、メニューを手探りで決められます。

……いかがでしょうか?

これはあなたにとって、心地よいエクスペリエンスでしょうか? 少なくとも私は「寄り添ってくれている感」を得られませんでした。

【マンツーマン】を辞書で引くと「一人に対して一人が対応することを意味する語」とあります。対して【パーソナル】は「一個人に関するさま。個人的。私的。」と。

つまり、「個」ではなく「私」に関わっているか否か、という差があるのです。

便利(合理)か不便(不合理)か、では過つ

「予約はいつでもネットからできて、ジムは都内20ヶ所から選び放題!」というサービスは、提供側になりに「合理」を追求した結果だったのでしょう。顧客である私も、当初はこの謳い文句に「それは便利だ!」と魅力を感じていました。

しかし現実には、私が期待した快適なエクスペリエンスは得られず、目的である「継続してトレーニングを続けられ、痩せる」は達成できませんでした。

では、上記のジムはお客さんのことを考えていないのか?

いえ、そんなことはないと思います。問題は「便利(合理)ー不便(不合理)」という1軸(横軸)だけでサービス内容が決定された点です。そこには「快適(満足)ー不快(不満足)」という軸(縦軸)が欠落していたのです。

ちょっと不便、を超す快適がある

最終的に、現在通っているジムはLINE予約ができます。でも、トレーナーの予定は公開されていません。だからわざわざ訊く必要があります。そこでコミュニケーションが生まれます。ついでにと、日頃の生活で困ったこと、悩ましいことを相談できます。

ジムは1ヶ所しか選べません。同じ1ヶ所なので、家からジムへ行く道すがらの変化を共有できます。新しくできた、美味しいお店を教えてもらえます。

なにより、毎回同じトレーナーさんです。しかも、初対面のときから名前で読んでくれます。訊くと、全社で徹底しているそう。「私」として扱ってもらう。これだけで、忙しい日々のなかで、なんだか嬉しくなります。

不便になるのを、恐れない

「不便だとクレームになるんじゃ……」そう思う気持ちも、わかります。でも、行き過ぎた合理は、逆に、不快を生む可能性もあるのです。

お客さんは、どうなったら快適なんだろう?
どんな扱いをされたら、すこしくらい不便でも、笑って許してくれるだろう?

こんな問いが、僕が100万円使って得た副産物です。素敵なパーソナル・トレーニング、気になれば、お声がけください。

便利さだけでなく、快適さも評価軸に入れると、UX改善のポイントが見えてくる(かも)。

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