お金じゃない『対価』で仕事をし、幸せをふりまく世界観とは【ネバネバ滞在期 vol.2】
2020.12.16

お金じゃない『対価』で仕事をし、幸せをふりまく世界観とは【ネバネバ滞在期 vol.2】

「小さな田舎のおばあちゃんが、庭で作った野菜を取引する。そのときに求める『対価』はなんだろう?」

根羽村(ねばむら)に移住して以来、僕はこの「仕事の対価」というものを、とても意識します。東京で五年間、仕事ばかりしていた頃には、クライアントの困りごとを解決して得られる『対価』に、疑問を挟む余地はありませんでした。

なぜならそれは第一に「お金」であり、あえて付け加えるなら「取引的信頼」だろうからです。「今回の案件の見返りは、お金でよろしいでしょうか?」なんて質問(確認)は、冗談にしか受け取られないでしょう。

しかし一方で、僕は「仕事」の見返りが「お金 / 信頼」という図式に、正直、疲れてもいました。

仕事は村全体のPR戦略、地域資源を活用した事業やイベントの企画立案です。といっても、僕が根羽村への移住を決心したのは仕事のためではなく、純粋に「村社会の暮らしをするため」でした。

世の中は資本主義で回っているんだから“しょうがない”でしょ

ええ、はい、わかります。

それでも、いくら仕事をして、対価を受け取っても、満たされない自分がいるんです。この違和感は、どこまでいっても拭えませんでした。

「改めて、人生という大きな枠組みにおける『仕事』の役割とは、何なのかを捉え直したい」

そう思い、2018年12月、人口わずか900人の長野県根羽村に移住しました。新しい人生のスタートするために。そして今は「ああ、これこそ仕事の醍醐味だ!」と思える体験を毎日のように重ねています。

コロナでも、村の日常は(ほとんど)変わらない

2020年5月、世間がコロナによる自粛規制で静かになっている頃。もともと静かな根羽村では、いつもと変わらない日々が過ごされていました。

大半の世帯が自分の菜園や田んぼを持っていることもあり、多くは畑の準備、田植えの準備。人が集まる行事こそキャンセルになりましたが、生活基盤に対する影響はなし。観光業もそれほど盛んではないため、村外からの収益減少も、あまり気になりません。

「こんなに大きい社会変動があっても、変わらず自分のペースで生きられるってすごいなあ」

と、僕はとても関心していました。

そんな時、村役場の振興課からとある相談が。夏休みに旅行会社と連携し、収穫体験の受け入れをしている村のおばあちゃんが、キャンセルにより野菜が大量に余る見込みで困っている、とのこと。

僕も知っている「ふみこさん」という小柄でとってもお茶目なおばあちゃん。家庭菜園とは思えない、超広範囲な土地で様々な野菜を作っています。地元の若者からも愛されているスーパーおばあちゃんで、毎年たくさんの子供の農家民泊の受け入れも行っています。

後日、ふみこさんに話を聞きに行きました。

おばあちゃんがコロナで失ったことは…

ふみこさんは今回のコロナによって、農家民泊がキャンセルになったことを心底残念がっていました。というのも、ふみこさんは農家民泊で預かった子供たちからの手紙を、ファイルに丁寧にまとめているような方。僕が初めてふみこさんとお会いした時も、その手紙を嬉しそうにいろいろ紹介してくれました。子供との繋がりを、とにかく楽しんでいたのです。

今回余ってしまう野菜については、旅行店側も「申し訳ない」ということで、買い取らせてほしいという話が出ていました。しかし、ふみこさんにとっては、お金だけの問題じゃないということは、容易に感じられました。

「ふみこさん、ちなみに農家体験で一番嬉しかったことって何? 今回無くなって、何が一番悲しい?」

と聞いてみました。すると、ふみこさんは、

「子供たちの、おいしい、という言葉が聞けないのが寂しい」

と。この声を聞いた時、僕の心に火がともりました。ふみこさんの悩みを、解決したい。

物理的に離れていても「おいしい」という言葉をおばあちゃんに届けるには?

あなただったら、この問題をどう解決しますか?

解決策として、僕が提案したのは「月1回のおすそわけ便」でした。おばあちゃんからは、余った野菜を。受け取り手からは、かかった費用とありがとうの言葉を。いわゆる月額制の「野菜のサブスク」です。

ですが、まだこの世界観だとどこかドライで、農家民泊体験で生まれていた「温かさ」が表現できない気がしました。そこで、

「1年間、村のしんせきになれるサービス」

というかたちで親戚のDXを企画しました。というのも、おすそわけは「親戚」のような親しい関係になると、自然を渡したくなるものだからです。目指すのは、都会と田舎で繋がれる、デジタルとアナログを活用した関係性づくり。

学校も巻き込んで、都会に野菜に送った日々は幸せすぎた

最初は10世帯から始まった「しんせきサービス」は、利用者の口コミで瞬く間に広がり、翌月には25世帯に。

毎月、村の農家さんの庭にある余った野菜をまとめ、みんなで梱包をしました。「食」をテーマに総合学習をしていた小学5・6年の子供たちも巻き込み、授業の一環として特産品の紹介お便りと共に、一緒に都会に送りつづけたのです。

配送後には毎回、受取手の方々はグループLINEで感想をくれたり、Instagramに様子をアップしてくれました。それをふみこさんや、手伝ってくれたおばあちゃん、子供たちに見せました。

送る方も、受け取る方も、みんなよろこんでくれました。

新しい世界観を見せることが、僕の仕事だ

この記事を書きながら、きれいにまとめたくない、文章で完結させたくない僕ができています。でも一つ言えるのは、この半年間のおすそわけ便は、僕にとって「違和感のない、心からできた仕事」だった、ということです。

『対価』はお金じゃなくていいんだ。みんなの困りごとが解決されたり、誰かの余ったものが、誰かを満たせる関係を構築すること。そんな「仕事の世界観」を、僕は求めているんだなあ、とこの一連の経験から実感しました。

仕事の『対価』はお金じゃなくてもいい世界観は絶対にある。それを教えてくれている、村の日々です。

感動の仕事は、クライアントの「真の困りごとが何か」に寄り添うところから、始まる。どんなにデジタルで便利になったとしても。

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