斜陽産業から読み解く、V字復活のためのオワコンUXリボーンの勘所
2022.04.06

斜陽産業から読み解く、V字復活のためのオワコンUXリボーンの勘所

紳士服大手各社は、コロナによってリーマンショック以来の大打撃を受けています。2020年の大幅赤字をピークに、それでも日本企業は優秀で、21年、22年と、徐々に業績を改善しています。

ではいかにV字回復させているのかといえば、事業ポートフォリオにおけるスーツ(紳士服)への依存度を下げる、といういわば構造改革によるものがほとんど。

スーツそのものによる逆転劇は、どうやらまだ見られていないようです。いやそもそも、そんなことは可能なのかという疑問さえあります。

今回はリモートワークを機に、これまでビジネスでは暗黙のルールとされてきた「スーツ文化」のUXについて再考してみることにします。

実感を伴う「でしょうね」な売上減

コロナ禍により、ここ数年スーツの売上が下がっている……そう聞いて、驚きの声を上げる人はきっといないでしょう。「そうでしょうね」というのが、仕事人であり、生活者たるぼくらの率直な感想であり、実感です。

ただでさえカジュアル化が進んでいたなかで、リモートワークが一気に浸透した結果、「基本的にスーツを着る日がなくなった」という人も珍しくはないはずです。

そのような状態で、スーツの売上(需要)が維持される(まして伸びる)ことは、まずありえません。ではなぜ、ぼくらはスーツを着なくなったのか。そもそも、ビジネスシーンにおける「スーツ文化」とは、なんだったのでしょうか?

信用・礼儀・所属の代弁

スーツの起源はイギリスであり、そのオリジンは「軍服」にあります。スーツに身を包むということは、「規則」や「規律」に身を包むことであり、同時に自身の「所属」を明らかにするものでもあります。

近代以降、われわれの主戦場が、無数の弾丸が飛び交う戦地から、無数のスプレッドシートが乱舞するオフィスに移っても、「制服」は維持されました。

そしてスーツの持つ「規則」「規律」「所属」のイメージは、苦もなく「信用」「礼節」「社会階層」に置き換えられました。

けれど今、この「スーツの役割」が終焉を迎えようとしています。いえ、恐らくすでに役割を終えています。引導を渡したのは、テクノロジーの進化、デジタルの恩恵という社会の進歩です。

人は見た目が9割……だとしても

コミュニケーションにおける「見た目(容姿や第一印象)」の重要性が変化したとは思えません。「みてくれ」には相変わらず注意を払うだけの価値があります。

しかしぼくらは同時に、日々通知されるOSのアップデートと歩みを揃えて、個人の認知もまた日々アップデートさせています。どういうことか。

ぼくらはオンライン会議の相手の背景が、南国のビーチや、シャンデリアの輝く宮殿の執務室や、宇宙ステーションであったとしても、それが決して「本物(本当)」ではないことは、判断するまでもなく知っています。

ソーシャルメディアにアップロードされている、毛穴一つない美女や、可愛い猫耳のついた少女に対しても、それが「真実の姿」ではないことは重々承知しています。

つまりデジタル世界でのコミュニケーションには、初めからフィルターや合成、修正といったフェイク(嘘)が紛れ込んでいることを理解しています。むしろ、それを理解できていることが、デジタルを利用する最低限のリテラシーでありマナーだとさえ言えます。

そんな世界では、他者の評価について、容姿(見た目)の占める割合が減少するのは当然です。むしろ、減らさなければ危険でもあります。

仕事3.0の時代に着る服は

仕事ができる風(ふう)、仕事をしてる風(ふう)、もコロナ禍のリモートワークで通用しなくなりました。それまでにも「ジョブ型」への移行は関心事でしたが、ますます「労働時間から創出価値」への転換は時代の流れとなってきました。

仕事1.0の時代は、「労働時間=価値」でした。生み出す価値における付加価値の割合(情報価値比率)が少なかったからです。

それが「労働時間≒価値」となり、今や「労働時間≠価値」の時代です。もはや付加価値の高い職種ほど、何時間働いたかは関係ありません。なにをアウトプットしたのかだけが問われます。

そのような時代においては、ますます「制服」たるスーツに意味を見出すのは困難です。心理学的観点からスーツがもたらす「権威性」や「威厳」、もしくは「ヒューリスティック」といった価値は失われていない、という声があるかもしれません。

しかし、今や若年層だけでなく、労働人口の過半数以上がYouTubeを筆頭とする動画メディア、オンラインメディアから積極的に情報収集しています。そしてぼくらが仮想的に先生とする動画の中の彼や彼女らは、もはやスーツを着ていません。

むしろ「スーツなんて着なくても、こんなにイカした人はいる」、もっと言えば「イカした人たちは、みんなスーツなんて着ていない」という逆の学習さえ働いている可能性があります。

スーツのUX上の問題はどこにあるのか

一言でまとめれば、「スーツを着る」という行為(エクスペリエンス)がユーザーの「歓び」と結びつく設計(とそこへの投資)を怠った、ということではないかと思います。

スーツには、もちろんそれを纏う歓びがあります(ぼくもそれを知る一人だと自負しています)。けれどそういったスーツ愛好者は、レコードや葉巻の愛好家のような存在で、決してマジョリティではありません。加えて、そういった人種は、コロナ禍で売上が激減した紳士服大手のスーツを愛用するタイプでもありません。

そもそもスーツは、現在の仕事にはもはや服装として不向きです。想像してみてください。リモートワーク下で、「今日はいつもよりもっと頑張るぞ」「納期に向けて全力でやるぞ」というとき、あなたはスーツを着ますか。ぼくなら脱ぎます。

万が一、スーツを着ていたのなら、ジャケットを脱いで、ネクタイを緩めて、シャツの第一ボタンを開けて、袖もまくって、いえ、なんならTシャツやスウェットに着替えます。それが現代における「本気の仕事スタイル」です。

スーツの明日はどっちだ

スーツの今後については、各紳士服企業の頭のいい人たちが、うんうん唸りながら死ぬ気で考えているでしょうから、ぼくはそこで出される結論を(一人のスーツラバーとして)楽しみに待っています。

おまけ程度に、UXの観点からぼくの考えも書いておきましょう。主なポイントは3つです。

(1)非日常に押し上げる(仕事をしない人が着るものにする)
(2)オーダースーツを中心としてメタバースと連動させる
(3)個人のアイデンティティを表現するものにする

「スーツを着る仕事」が「きちんとした仕事」から、いつからか「不自由な人生」の象徴になったように感じます。その結果、若年層を筆頭に「スーツを着なくていい仕事」が羨望されるようになりました。

それをまた、逆転させます。つまり、現代は「スーツを着ない人」が仕事をしている状態になりつつあるので、反対に「スーツを着ている人」は昼間からお酒を飲んでいる人のように、自由で解放された人というイメージをつくる。それにより、スーツが備える「所属(社会階層)」のイメージを変更する。そういったプロモーションは可能ではないかと思います。

そうすると、必然スーツは嗜好品であり、高級品でなければいけません。当然オーダースーツが基本となります。オーダースーツという一点物である事実を利用してNFT化、メタバースでも自分のアバターが着用できる衣装にできれば、デジタル時代におけるスーツの持つ情報価値も高まります。

そうしてスーツを「着なければならないもの」から「個人のアイデンティティを表現するもの」に変えられたなら、スーツにまつわるUX(エクスペリエンス)も、ポジティブなもの、つまり「歓び」と連動したものになるのではないか、と。

別の物語を与える

上記の提案は、言い換えれば「スーツに新たな(UX上の)物語を与える」ということです。

「量販」は不可能になるでしょう。むしろ広大な店舗は必要ありません。土地も含めて売却する、ないし不動産収入を得る方向に切り替えます。

雇用を整理する必要は出てくるかもしれませんが、オーダースーツによる世界に一つだけのメタバース衣装は、必ず手の届かない人には羨望の的になりますから、メタバース上のセミオーダースーツ制作部隊に社員を教育し直すこともできるかもしれません。

スーツの情報価値は高まり、そこにはスーツにまつわる新たな物語が生まれてきます。

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