オーディオブックで変化する、読書と教養のUX
2021.06.02

オーディオブックで変化する、読書と教養のUX

 本、読んでますか? 二十年(!)ほど前、KADOKAWAの電撃文庫を筆頭に、ライトノベルブームが起きました。当時、ちょうど中二だった僕は、どっぷりぬっぷり読書の沼に足を踏み入れることになったのです。『ブギーポップは笑わない』で衝撃を受けてから後は、もはやただのジャンキー。親からもらったお昼代をケチるのは当たり前、少しでも小金を手に入れたなら、即本屋に走り、小説を買っては読みふける毎日でした。

高校生活も半ばを過ぎると、「せっかくならもっと身になるものにお金と時間を使いたい」という、大阪人まる出しの貧乏根性で、読む対象が小説などのフィクションから、ビジネス書に変わっていきました。受験勉強さえまともにしていないのに、『部長になったら読む本』だの『営業マンの手帳術』だの読んでいた僕は、ええ、いったい、なにがしたかったのか。

クラスメイトの静かな悟り

 当然、同級生からだけでなく、先生からも変わり者扱いされました。高校二年のあるとき、クラスの可愛い女子(小畑さん)が先生に「大学の哲学科って、どんなこと勉強するの?」と訊きました。すると先生は、どういう意味か「哲学科は、イデみたいな奴が行くとこだ」と言いました。質問した女子だけでなく、話を聞いていたクラスメイト全員が「ああ……」となにかを納得し、結局、進路を決めるときに大学の哲学科を希望した人は、僕のクラスにはいませんでした(僕も哲学専攻ではなく、心理学科でサブ的に哲学と倫理を学びました)。

そんなこんなで、大学に行っても本ばかり読んでいた僕は、いろいろな縁や運命のいたずらによって、在学中からビジネスを始めることになりました。といっても、ビジネス書の知識がすぐに活かされるわけもなく、そこからしばらくはスキル系の本ばかりを読むようになったのです。言葉を選ばずに言えば、手っ取り早く稼ぐための本を。まだ、オーディオブックが市民権を得る、十年以上も前の話です。

教養の蜜と罠

 名著『知的戦闘力を高める 独学の技法』で山口周さんは、ビジネスパーソンにおける「教養」の重要性と危険性を説いていました。曰く、仕事ができる人は、仕事に全エネルギーを投下してきたがために、一流になった。けれどそれがゆえに、リベラルアーツと呼ばれる「教養」の獲得は蔑ろ、後回しにされている。そのため、仕事ができる人ほど「教養」がウィーク・ポイントになっている、と。

しかし一方で、仕事ができない人の一部は、自分の仕事のできなさを「教養」で補おうとする。つまり、「仕事ができる/仕事ができない」軸と「教養がある/教養がない」軸のマトリックスがあったとき、言うまでもなく理想は「仕事ができる/教養がある」の領域。でもそんな人はごく一握りしか存在しません。多くの仕事人は「仕事ができる/教養がない」に分類されるはずで。そして問題は「仕事ができない」群。

本来「仕事ができない」のであれば、「仕事ができる」ゾーンを目指すべきですが、「仕事ができない」をそのままに、「教養がある」マスを目指す人たちがいます(実際、見かけます)。そうすると、不思議なことに、「仕事ができる/教養がない」人にとって、なんとも難しい存在になる。……という山口周さんの分析と指摘は、さすが頷くしかありません(無論、ここを目指してはいけません)。

力がつくほど教養は遠ざかる

 僕はといえば、多少仕事ができるようになりつつも、もともと読書くらいしかすることがなかったので、教養と呼ぶにはおこがましい、妙な知識がちらほらありました。僕はその謎の群を「思想」と読んでいましたが、先の山口周さんの言うとおり、こういった仕事ができる人にとってはウィーク・ポイントになっている分野は、実益としても「面白い奴だな」と興味を持ってもらえる、役に立つものではありました。

とはいえ、大半は仕事に関する知識であり、僕であれば「書く」や「伝える」といった専門分野の知識です。学生時代にも勉強をさぼっていたので、歴史や地理、政治、古典といった教養はまるで持ち合わせていません。

そして20代から30代になり、ようやく少し力がついてきてからは、仕事も忙しくなり、なおさら直接的ではない本を読む時間の捻出は困難になっていきました。やはり「教養」を得るのは難しいなと思っていたとき、ひょいと、オーディオブックがやってきたのです。まさに、救世主として。

オーディオブックという新領域

 オーディオブックは、文字どおり「耳で本を聴く」ものです。自己啓発の分野では昔から「カセットテープ」や「CD」はありましたし、文学には一部「朗読本」もありました。しかしそれらはかなり限定的で、特に前者は知識を得るというよりは、思考環境に刺激を与えるもの、後者は趣味の領域に過ぎませんでした。

しかし、オーディオブックは違います。一般的な本、ベストセラーになるような名著を「聴ける」のです。それもいちいちCDやカセットテープをセットしたりせず。これは革命的でした。

その結果、僕のなかで読書が細分化されたのです。線を引いたり、読み返したり、参照する必要のある専門書や技術書は、これまでどおり紙の本。さっと読み流してエッセンスだけ知れればいいものは電子書籍。そして読むには腰が重いけれど、学んでおきたい古典や名著といった教養書はオーディオブック、ときれいに各ポジションが決まりました。

すると、いやあ、面白いもので、今度は途端に教養書のインプットが一番多くなったのです。

耳は案外暇してる

 散歩をかねた夕食の買い出しに行くとき、夕食後の洗い物をするとき、ごみを出しに行くとき、そんなちょっとした時間に、オーディオブックを聴いています。これは一石二鳥どころではありません。洗い物を例にとれば、食器がきれいになり、その上インプットができるだけでなく、好きではなかった洗い物の時間が、なんとも好きな時間になったのです。この感情とストレスの変化は、教養を得る以上にQOLを高めてくれています。

オーディオブックを取り入れてから、『サピエンス全史(上)』『サピエンス全史(下)』『失敗の本質 日本軍の組織的研究』『大本営参謀の情報戦記』『これからの「正義」の話をしよう』といった、読むにはなかなか苦労する名著を、楽しく読破ならぬ聴破しました。

先に引用した山口周さんの『知的戦闘力を高める 独学の技法』も僕はオーディオブックです。最近では、石原裕次郎が一人称で田中角栄の生涯を描いた『天才』も、読むのではなく聴きました。他にも、気になったものは次から次へと聴いています。『サピエンス全史』や『失敗の本質』、『これからの「正義」の話をしよう』などは、通読するのにも時間を要し、なかなか再読とはなりませんが、いずれも僕は二度聴きました。

世間(のごく一部)で騒がれているように、耳は案外暇してるのです。

いよいよ仕事ができないとまずい

 えらいことです。「仕事ができる人」が簡単に「教養」も得られる時代になってしまいました。いよいよ「仕事ができない人」は、身の振り方を真剣に考えねばなりません。リモートワークでも「あの人、今までなにしてたの?」と疑われる人が続出していますから、ある意味では正直な時代とも、厳しい時代ともいえます。そしてこの流れは不可逆ですからね。

ただ懸念することがあるといえば、こうしてインプットが容易になっていくがために、仕事ができる人が仕事ができる人になった由縁である、固執的な熟読や網羅的な経験、失敗の積み重ねなどが嫌われる可能性も考えられます。

これまで僕を僕に育ててくれた過程を、すべてオーディオブックに置き換えられるかというと……わかりません。可かもしれないし、不可かもしれない。こればっかりは、オーディオブック・ネイティブの若者たちが社会に出たときに、関わってみて始めて答え合わせができるような気もします。そう思えば、楽しみがまた一つ増えましたね。

では、また書きます。

オーディオブック、いいぞ!

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